2018-09-10

スリランカの偉人、JR・ジャヤワルダナさんのご紹介

アーユボワーン!!!

ネイチャー・エクスプローラー・ランカの坂本です。

9月はシルバーウィークの日取りもよく、大変多くのお問い合わせを
いただいております。ありがとうございます。

さて、本日はそんなシルバーウィークにスリランカにいらっしゃる方へ
ぜひ、訪れていただきたい場所をご紹介させていただきます。

記念館の入り口にあるスリランカの国旗

コロンボにある、J.R.ジャヤワルダナ文化センターです。
※土曜・日曜・スリランカの祝日はお休みです!ご注意ください!

そもそも、どなた?という方も多いと思います。

彼が注目を浴びることとなったのは、第二次世界大戦後の
サンフランシスコ講和会議でです。
この会議ではソ連を中心とした参加国の多くが、戦争に敗北した日本への
莫大な賠償を求めていました。

一説には日本は6分裂にされていたかもしれなかったこの会議。
そんな中、当時セイロン自治領の大蔵大臣だったジャヤワルダナ氏の
演説が始まったのです。

演説の様子を記録した1枚

実はスリランカも日本軍による損害を受けていましたが、
ジャヤワルダナ氏はスリランカは全ての対日賠償請求権を放棄し、
日本の独立を各国に訴えたのです。

スリランカは日本と同じ仏教国である事を述べた上で、
「憎しみは憎しみによって止むことはなく、愛によって止む」
と発言し、この言葉は後世にも引き継がれるものとなっています。

ジャヤワルダナ氏の石像
この演説もあって、日本は分裂されることなく、
今の姿のまま、世界大戦後もどの国にも支配されずにすみました。
彼は戦後の日本復興の道筋を作ってくれた、
と言っても過言ではないでしょう。

当時の総理大臣であった吉田茂さんは、
「日本人はこの大恩を後世まで忘れてはならない」
と語ったとも言われています。

日本記念館の入り口にある国旗

その後、ジャヤワルダナ氏ははスリランカ建国に貢献し、
大統領制になってからは初の大統領に就任します。

余談ですが、スリランカの首都スリジャヤワルダナプラコッテは、
ジャヤワルダナさんの名前にちなんで命名されたものだそうですよ。

中学校の地理の授業で、
何度も書いて覚えました、スリジャヤワルダナプラコッテ・・
スリジャヤワルダナプラコッテ・・・
スリジャヤワルダナプラコッテ・・・
世界でも一番長い首都名・・・・
なんだか懐かしいです。

日本記念館の展示物

日本を救ってくれたジャヤワルダナ氏。
親日家として何度も、日本を訪問されたそうです。

コロンボの記念館には日本記念館という別館があり、
彼が日本に来て集めたものや、日本からプレゼントとして
送った記念品も多々あります。

日本記念館に飾られた羽子板

私が最も驚き、感動したエピソードは目を寄付した話です。

「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」

と遺言書に書かれていたそうで、実際に群馬県の女性に
左目の角膜が移植されたそうです。

その後も、現在までに約3,000ものの角膜がスリランカから提供されているのだとか。

亡くなってからも人のためになりたい、と尽くした
ジャヤワルダナ氏。

コロンボの記念館を訪問すると、彼の生涯集めたコレクションや
スリランカと日本との友好関係も見つめ直す事ができること間違いなしです。


お客様の中には、涙を流すかたもいらっしゃるほどです。
ぜひ、ご旅行の際にはお立ち寄りくださいませ。


Text and Photo by Reina Sakamoto