2020-05-29

スリランカ 4つの古都と世界遺産


新型コロナウイルスの影響で3月下旬よりロックダウンが続いていたスリランカですが、やっと523日に発表があり、526日より夜間(午後10時より翌午前4)のみの外出禁止となり、またコロンボ県・ガンパハ県を除いて県をまたぐ移動も許可されるなど大幅に規制の緩和が始まってきました。


 海外からの旅行客の受け入れはまだ先になりますが、日本でも無事に海外旅行が解禁された暁には、また是非スリランカへの旅のご検討を頂ければ幸いです。また自由に旅行ができる日が戻ることを祈って、通常のブログ記事も改めて更新を続けて行きます。



スリランカ 4つの古都と世界遺産


 現在、合計8つの世界遺産が登録されているスリランカですが、そのうちの4つが当時のシンハラ王朝の都となった街でした。

スリランカの世界遺産(登録年)

文化遺産
聖地アヌラーダプラ(1982年)
古都ポロンナルワ(1982年)
古都シーギリヤ(1982年)
聖地キャンディ(1988年)
ゴールの旧市街と要塞(1988年)
ダンブッラの石窟寺院(1991年)

自然遺産
シンハラジャ森林保護区(1988年)
スリランカの中央高地 (2010年)


今回の記事ではシンハラ王朝の始まりからイギリス軍の侵略による王朝の終焉まで、都の変遷をもとにご紹介します。

1.       スリランカ最古の都:アヌラーダブラ

<世界遺産登録:1982年>
紀元前483年、シンハラ人の祖とされるヴィジャヤ王子がスリランカに上陸したとされています。その後紀元前3世紀にインドからアショカ王の王子:マヒンダが仏教を伝え、アヌラーダブラは仏教都市として栄えていきます。

その後、紀元後5世紀に一シギリヤに遷都されたものの都は再度アヌラーダブラへと戻され、11世紀まで長くシンハラ朝最初の都として機能しました。


アヌラーダブラのシンボル:ワンウェリ・サーヤ大塔

イスルムニヤ精舎本堂の涅槃仏






2.       シギリヤ

<世界遺産登録:1982年>

紀元後5世紀、シンハラ王朝のカッサバ王によって高さ195mの岩上に建造された王宮。シギリヤ・ロックとして、スリランカ随一の名所として知られますが、実際にこの都が利用されたのは僅か11年に過ぎませんでした。

カッサバ王は父王を殺害して王権を奪取しますが、平民出身の母親を持つカッサバ王は王族出身の母親を持つ弟:モッガラーナに王位を奪われることを恐れ都をアヌラーダブラからシギリヤへと移し、岩上に王宮を建設しました。

しかし11年後、インドに亡命していたモッガラーナに敗れたカッサバは自ら命を絶ち、シギリヤ王権は終焉を迎えます。モッガラーナはシギリヤを仏教僧へ寄進し、をアヌラーダブラへ戻します。その後シギリヤは14世紀頃まで修道院として存続するものの徐々に衰退し、キャンディ王国の治世の後に放棄されます。


シギリヤ・ロック

シギリヤ・レディのフレスコ画




3.       ポロンナルワ

<世界遺産登録:1982年>


1017年、スリランカは南インドのチョーラ朝の進行を受け古都アヌラーダブラを去ってポロンナルワへと遷都します。当時のシンハラ王ヴィジャヤバーフは灌漑設備の整備と仏教の布教に力を注ぎ、その意思を継いだ彼の孫:パラークラマ・バーフは巨大な貯水池:パラークラマ・サムドラを建設、また多くの寺院を建立し、ポロンナルワは仏教都市として名高い都市へ成長します。聖域として知られるようになったポロンナルワにははるばるタイやビルマからも仏教僧が訪れていました。

13世紀に入り再びチョーラ朝からのタミル人の侵入が激しくなり、シンハラ王朝は徐々に島の内陸部へと南下し、都も移り変わっていきます。その中でポロンナルワは放棄され、以降20世紀に発掘が進められるまでジャングルの中に埋もれることとなりました。


当時のポロンナルワの中心地に位置する円形の仏塔:ワタダーゲ


パラークラマ・バーフ一世の重厚なレンガ造りの宮殿跡。当時は7階建だったが現在は3階部分までが残存している。



4.       最後の都:キャンディ

<世界遺産登録:1988年>

チョーラ朝の侵攻によって南下を続けたシンハラ王朝は15世紀に入って都をキャンディに安定させます。山々に囲まれたキャンディは狭い盆地となっており、外敵の侵入を阻むためにも好都合な土地でした。その後、1815年にイギリス軍により滅ぼされるまでの300年以上にわたり最後の都として機能し、現在でも王権の象徴である仏の歯を擁する仏歯寺が置かれています。

スリランカの象徴でもあるこの仏歯を先頭に市内を回り歩くペラヘラ祭は67月に開催され、スリランカ最大の祭りとして盛大に祝われています。

仏歯を祀るキャンディ仏歯寺


1805年のポルトガルのコロンボ侵出から欧米列強の植民地支配をうけることとなったスリランカは、1796年よりイギリスの東インド会社の支配下となります。その後1802年にはイギリスの連邦直轄領となり、1815年のイギリス軍のキャンディ侵攻によって都は落とされ、シンハラ王朝は終焉を迎えました。

スリランカは第二次世界大戦を経て1948年にイギリス連邦内の自治領セイロンとして独立しますが、打ち捨てられていた古都は植民地時代から発見・研究が進められており、現在ではシンハラ王朝の遺産として世界的にも人気のある観光地となっています。



Text by Okada