2016-05-30

見る者を飽きさせないキャンディアンダンスの演目

動物の動きを表したものや、仏陀の生涯など、
キャンディアンダンスの演目には一つ一つ意味があります。
よく演じられるものをいくつかご紹介致します。

マグル・ベラ Magl Bera
ショーの幕開けを告げる演目です。
肩がけのドラムやシンバルを持った男性ダンサーが演奏しながら踊ります。
ドラムの音は重々しく、伝統的なリズムを正確に刻みます。
ものすごい速さで素手で叩きます。
ドラムは両面叩けて、それぞれ異なる材質で皮が張られているため違う音が出ます。
ゲタ・ベラという太鼓が使用されています。
プージャー・ナトゥム Puja Natum
シンハラ語でプージャー=神への礼拝儀式、ナトゥム=踊りという意味です。
先のマグル・ベラとは変わって、今度は女性達により踊られます。
仏陀に祈りを捧げる姿を柔らかな仕草で優雅に踊ります。
神聖な祈りの舞。
パンゼル・ナトゥム Pantheru Natam
トンボ返りの連続やバク転を披露するアクロバティックな演目です。
シンハラ族の戦士が戦場に向かう勇姿を表したものです。
ドラムの音も激しくなり、ダンサーが代わる代わる見せる動きは最も迫力があります。
彼らの姿に会場も一気に盛り上がります。
ラクッシャ・ナトゥム Raksha Natum
主に南部の海岸で行われる仮面舞踊の一部も行われます。
仮面は悪魔の姿をしており、腰をかがめて頭をグルグル回します。
とても人気のある悪魔祓いの舞です。
まるで歌舞伎のように頭を回します。
ヴェスダンス Ves Dance
もとは悪霊払いだったヴェスダンス。まさにキャンディアンダンスの真骨頂です。
強靭な肉体の男性ダンサーは華やかな衣装をまとい踊ります。
しなやかな手の動き、伝統的なドラムのリズムに合わせて舞う姿は見る者を惹きつけます。
会場内にドラムの音が響きます。
ギニ・シシーラ Gini Sisila
松明を手に振り回したり、口に含んだりするファイヤーダンスです。
火には悪霊を追い払う力があると信じられていることが由来です。
また、「ファイヤーウォーキング」という焼けた石の上を踊りながら渡ることも行われます。
これはヒンドゥー教の影響を受けています。
ファイヤーダンスは人々の注目が集まります。
他にも孔雀の姿をした女性たちによる舞や、皿回しに似たものもあります。
どれも目を奪われるもので、時間があっという間に過ぎていきます。
これらのショーが鑑賞できるところはキャンディ市内で3ヶ所あります。以下の通りです。
・「レイククラブ」
仏歯寺を東へ、山の中腹辺りにあります。
・「YMBA (Young Men's Buddhist Association)」
キャンディ湖近くのローヤル公園内にあります。
・「キャンディ芸術協会(カルチュラル・ホール)」
仏歯寺のすぐ裏にあるので、仏歯寺観光の後すぐに行けます。その立地の良さから人気の観光地です。お早めお席のご予約をおすすめします。
最後のポーズ!
リズミカルな太鼓の生音と、美しさ、優美さ、力強さを備えたスリランカの踊りは必見です。
キャンディ近郊に行かれた際には、是非ご予定に取り入れてみてはいかがでしょうか。

Text by Ayana Alles

2016-05-27

キャンディアンダンスができるまで

スリランカ芸能キャンディアンダンス
スリランカ最大のお祭りエサラペラヘラで多くの観客を魅了するキャンディアンダンス。(エセラペラヘラ祭りについての記事はこちら。)
中央部キャンディ地域で昔から踊られていたダンス。現在はお祭りや結婚式で登場しますが、当時は見世物のためではありませんでした。
ドラムの音に合わせて踊る。
キャンディアンダンスの起源は悪霊払いでした
もともとは「コホンバ・カンカーリヤ」という宗教儀礼から始まりました。
健康、繁栄、病気よけを目的とする祭りの際に行われた儀式で、最大の目的は悪霊払いでした。
その由来となった伝説があります。
始まりはスリランカ建国の王ヴィジャヤがインドからやってきた事からです。
ヴィジャヤはこの地の鬼神である女夜叉クウェーニィと結ばれました。
それからクウェーニィの助けがあって王位に就いたヴィジャヤ。
しかしその後、王はクウェーニィを裏切ります。
怒った女夜叉クウェーニィは豹になって宮廷を襲います。2代目の王パンドゥワス・デーウァをも悪霊の崇りで病気にしました。
病気を治すためにインドの王、マラ王がスリランカに招かれて病気を治しました。
この一連の出来事を再現したものが「コホンバ・カンカーリヤ」でした。それは七日七夜にわたって行われていました。
しかし今では執行されることは少なくなり、宗教儀礼な舞ではなくショー的なダンスとして残されるようになりました。

衣装、装飾にまつわる伝説
コホンバ・カンカーリヤの名残が衣装、装飾に残されているという説があります。
それはメインの踊り手に見られます。
踊り手は12〜13mの紅白の布を腰にまとい、ウェスタットゥワと言われる飾りを頭にかぶっています。
胸には華やかなビーズの飾り、耳輪、腕にはブレスレット、音がなる足輪、さらに腰の布上に金属製のベルトを巻いています。
この姿が儀礼の崇拝対象であった太陽神を表している、または主宰者である王の姿をすると伝えられています。
とても煌びやかです。
次回はキャンディアンダンスの演目についてご紹介致します。

Text by Ayana Alles

2016-05-20

ノリタケランカの歴史の秘密

ノリタケがなぜスリランカで今日まで続けてこられたのか
1972年に設立されてから、40年以上もの歴史を持つノリタケランカ。
途中、2009年まで26年間続いた内戦時も、操業をやめませんでした。
なぜ、そのような厳しい時代を乗り越えて、続けてこられたのでしょうか。

幹部社員にスリランカ人スタッフも!現地スタッフだけで操業できる工場
1つ目の理由に、経営の現地化があります。
今や千人を超える従業員を抱えているノリタケランカ。
彼らの昇進などのキャリアを明確にする工夫に取り組み、仕事に対するモチベーションを上げて日本人がいなくてもやっていける状態にあります。
こうして現地化されることによって操業を長く続けてこれたのです。

競争力になる現地スタッフ
従業員たちがノリタケを支えてきたことは大いにあります。
それは彼らが勤勉であり、手先が器用なことが高品位な製品を製造することにつながっていました。また安い経費で済むことも継続を持続できる理由でした。

国がノリタケを信頼している
最も大きな要因として考えられることが、日本人駐在員と現地スタッフがしっかりとした信頼関係にあることです。
さらにはスリランカの国全体がノリタケと良い関係にあることです。
内戦という厳しい時代にも操業を続けていたことが、スリランカがノリタケに対して好意的である最大の理由だと言われています。
スリランカ政府から外国人に送られる最高の賞、ラトナ勲章を3度も授与されています。
美しいティーカップセット。セイロンティーを淹れてみませんか?
工場の横にあるショールームやアウトレットで思わず爆買いしたくなる!
マータレーの工場横にはショールームとアウトレットがあります。
他にもスリランカ国内にショールームが7ヶ所あります。
どこのショールームでも日本で買うよりお安く購入できますが、マータレーのアウトレットでは少し傷がついているようなB品の商品が破格で購入できます。
シーギリヤレディが手書きされたプレートやマグカップなど、スリランカならではの限定商品も。
ノリタケは幅広い年齢層に人気なのでお土産にも最適です。
シーギリヤやキャンディへ観光に行くついでに寄ってみてはいかがでしょうか。
マータレーのショールーム。
広いアウトレットコーナー。ここからお気に入りを探すのは楽しい時間です。

商品が山のように並んでいます。
スリランカと日本の架け橋のノリタケ。今後、一層のご活躍を祈らずにはいられません!

Text by Ayana Alles

2016-05-16

高級食器ノリタケとスリランカの意外な関係

スリランカにいち早く進出した日本企業とは?!
近年インドやバングラディッシュと同じようにスリランカにも海外のアパレルメーカーの縫製工場ができ、多くの衣料品が生産されています。
しかしもっと前から、それも40年以上も前からスリランカに工場を作った日本の企業があります。
それは、日本を代表する陶器メーカー「ノリタケ」です。

スリランカ現地スタッフにより再現される日本品質
1972年、ノリタケはスリランカにノリタケランカ(NLPL)を創業しました。現在、キャンディ近郊のマータレーの工場では1200人の従業員が働いています。
従業員たちはノリタケの生産のプロセスに忠実に従い、日本で作られるものと同等のレベルの製品を作っています。
ノリタケの絵付けはすべて手作業で行われるのですが、それもすべて現地従業員によって行われています。
そもそも、ノリタケがスリランカに進出した理由は良質の陶器用粘土を調達できることでした。しかし、今となっては有能なスリランカ人材のポテンシャルがノリタケのブランドを支えています。
メイド イン スリランカなんです。
徹底した取り組み、検査で品質維持
ノリタケの製品の9割の生産が行われているマータレーの工場。
ここから世界に出まわるため、工場では日本のあらゆる製造業の現場で取り組まれている5S活動(1.整理 2.整頓 3.清掃 4.清潔 5.躾)がここでも行われています。
また自社の目的・方針を明確にして、その方針に沿った組織の仕組みを考えて人員・設備を運用するといったISOこと「世界標準化機構」の取り組みを行うことを徹底しています。それらによって日本と同等の品質維持ができています。
それでも、不良品を出さないために検品をしっかり行っています。
その検品方法は土をこねるところから始まり、完成まで10回行われます。
こうして完成した商品は世界でトップクラスとして認められ、スリランカが誇るブランドにもなっています。
高級感ある商品の数々。
次回はノリタケがどうしてスリランカで40年以上も続けてこれたのかという秘密に迫ります。

Text by Ayana Alles

2016-05-09

ピジョンアイランドでシュノーケリング

アユボワーン

以前にも一度、ご紹介したピジョンアイランド。
5月上旬にまた行ってきました。


シュノーケリングを満喫しました!

ピジョンアイランドは、国立海上公園に指定されており、島への上陸には入島料 (2100ルピー/2016年5月現在)が必要です。
この島へはトリンコマリーのビーチから20~30分(ボートに乗るビーチの場所によって異なります)で到着します。


島の概念図
島の北側、南側2ヶ所にビーチがあります。

北側の方が入り江になっていて、常に波は穏やかで比較的泳ぎやすいです。
ここでシュノーケリングをすると、ニモ(クマノミ)をはじめとするたくさんの魚を見ることができます。


クマノミに遭遇!

一方、南側は沖に面しており、遠浅でサンゴが美しいですが、潮の流れが早いこ ともあります。
この南側では、かなり高い確率で、ウミガメ、バラクーダ、ブラックティップシャークに出会うことができます。


アオウミガメ Green turtle
アオウミガメ Green turtle
今回は非常にラッキーで、アオウミガメ、タイマイと一緒に泳ぎ、なんと8匹のブラックティップシャークに囲まれました(人は襲いませんので安心してください)。


アオウミガメ Green turtleと泳ぐ!
ブラックティップシャーク Blacktip reef shark
午後からは波が高くなるので、午前中又は午後の早い時間に遊びに行ってください。
また、ビーチはサンゴのかけらがたくさんあって、素足ではかなり痛いです。
必ずサンダルを履いてきてください。

4月~10月までがトリンコマリーのベストシーズンです。そんな中でも7、8月はどのホテルも満室状態になります。
是非お早めに計画をなさってください。

アユボワーン、健やかな一日を。

text by Anuradha Bandara

















2016-05-05

美女の正体は未だミステリー、シーギリヤレディの謎

前回に続き、世界遺産シーギリヤ・ロックについてご紹介いたします。

カーシャパ王によってシーギリヤ・ロックの頂に王都が置かれた治世は、495年に終わりを告げました。その後、王になった弟モッガラーナにより首都はアヌラーダプラに戻され、王宮は仏教僧に寄進されました。それからは埋没してしまっていたシーギリヤ・ロック。
そんなシーギリヤ・ロックが発見されて、現在に至るきっかけになったのが「シーギリヤレディ」でした。

シーギリヤレディはシーギリヤ・ロックに描かれている美女の壁画です。
イギリス植民地時代の19世紀にイギリス人によって発見され、名付けられました。

シーギリヤレディの描かれている場所は、シーギリヤ・ロックを少し登った中腹あたりにあります。
絶壁にかけられた螺旋階段。かつては竹のハシゴがあったそうです。

螺旋階段を上るとシーギリヤレディが現れます。
美女たちは鮮やかな色彩で描かれているフレスコ画です。
(※2016年4月現在は写真撮影が禁止されております。)
かつては500人ほどの美女が描かれていましたが、現在残っているのはわずか18人です。
この美女たちが誰なのかは未だ解明されていません。
謎に包まれたシーギリヤレディ。

一つの説では、服を着ている女性が待女、上半身裸の女性が上流階級と言われています。

なんとも神秘的な表情です。

また、別の言い伝えでは女性たちはアプサラという天女ではないかと言われています。
装飾品も豪華です。

5世紀に描かれたとは思えないほどの美しさが残っています。
その美しさはスリランカを代表する美術品として、世界から注目されています。


岩肌が出てきてしまっています。

肌の色がやや濃い色の女性も見られます。

そして、近くに高さ3メートルの磨き上げられた漆喰の壁ミラーウォールがあります。
その名の通りミラーのように光沢、輝きがあります。かつてはミラーウォールの反対側にもシーギリヤレディが描かれていて、反射する仕組みになっていたそうです。

カーシャパ王が父に対する供養でこの美女たちの壁画を描かせたとも言われています。
父を殺してしまったことを深く悔いていたことが、ここでもわかります。
そんな狂気の王が残した壁画は皮肉にも人々を魅了し癒しています。
スリランカ美術の最高傑作を見に、シーギリヤ・ロックに登ってみませんか?

Text by Ayana Alles


2016-05-02

孤高の王の城跡シーギリヤ・ロック

スリランカは小さな島国ですが、世界遺産に登録された史跡や自然保護区が8つもあります。
中でも中央部シーギリヤのジャングルの中にそびえ立つ巨岩「シーギリヤ・ロック」は
国中、世界中から人々が訪れる人気の世界遺産です。

シーギリヤ・ロック
ジャングルの中に浮かぶ天空の城ができるまで
シーギリヤ・ロックの頂上には、かつて狂気の王と呼ばれた王の宮殿がありました。
王がなぜ狂気の王なのか、なぜこんな所に宮殿を建てたのかは次の通りでした。
5世紀の後半、宮殿を建てたのはカーシャパ王でした。
カーシャパは父王ダートゥセーナの長男ではありましたが、母親が平民の血筋でした。
それに対して弟モッガラーナの母親は王族の血筋の女性でした。
そのため、弟の母親が王の正妻とされ、王位継承権はモッガラーナにあるとされていました。
そこで、カーシャパ王は王座を奪うために父に恨みを持つ家臣と共謀し、父を生きたまま壁に塗り込めて殺してしまいました。
こうして王位についたカーシャパ王ですが、父を殺してしまった自害の念にかられるようになりました。
そこで父の供養の為、かつて父が宮殿を築こうとしていたシーギリヤ・ロックに、宮殿を完成させて移り住むことにしました。それはモッガラーナの復讐から身を守るためでもありました。
しかし11年後、モッガラーナが大軍を率いて戦いを挑んできました。それに破れたカーシャパ王は自ら喉をかき切り命を絶ちました。
11年間の天下はこれにて幕を閉じたのでした。
王都として置かれた期間は短いですが、カーシャパ王はその間、苦悩の日々と孤独に過ごしたことでしょう。

頂上からの眺め。王は弟が迫り来るのが見えたことでしょう…。
険しい階段を登り切ればそこは絶景
頂上手前にはライオンテラスと呼ばれる広場に、巨大な爪のゲートがあります。
宮殿への入り口です。伝説では当時はライオンの頭部まであったとあります。
大きな爪は、まるでこちらを威嚇しているようです。

頂上までは急な傾斜面にへばりついた階段を登ります。細々としていてスリリングです。
頂上までの階段は1000段以上あります。

頂上の面積は1.6ヘクタール。宮殿跡には階段や沐浴場、見張り台等の遺跡が綺麗に残っています。
王のプール。

頂上からの景色はアヌラーダプラ、ポロンナルワ、キャンディを結んだ文化三角地帯を360度パノラマビューの絶景です!
景色を楽しみながら、王の境地に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
天気の良い日はアヌラーダプラの仏塔まで見られます。

風の音以外、何も聞こえてきません。こんな寂しいところで王は何を思ったのか…。
スリランカの国獣、スリランカオオリスに出会えることも。

さて次回はシーギリヤ・ロックの見所シギリヤレディをご紹介いたします。

Text by Ayana Alles