よく「旦那さんはどちらの出身ですか?」と聞かれ「スリランカです。」と答えると
だいたい「あぁ〜!紅茶で有名なスリランカ!」と言われます。
確かに、スリランカの紅茶は輸出量が世界第1位で主要産業です。
なのでスリランカといえば紅茶の国と知られているのですが
そうなるまでの裏側には、ある人物達の功績があります。
スコットランド出身のジェームス・ティラーは
16歳で祖国よりスリランカに渡り、コーヒー園で働きました。
当時スリランカで盛んだったのは、紅茶ではなくコーヒー栽培だったのです。
その後、コーヒーの葉の病気である「サビ病」が流行り全滅しました。
それを機にジェームス・ティラーはインドで茶栽培を学んでスリランカに帰国。
見事、紅茶の葉の栽培に成功し、自ら揉念機をデザインしたり
当時はまだなかった紅茶工場までも作り上げました。
そうしてできた茶が英国の紅茶市場で高く評価され
セイロンティーが世界に広く渡って行きました。
彼は生涯独身で紅茶栽培に人生を捧げたので「紅茶と結婚した男」とも呼ばれています。
キャンディとヌワラ・エリヤの間らへんにあるルーラコンデラ茶園の入り口にはジェームス・ティラーの銅像があります。
スコットランド生まれのトーマス・リプトンは1890年にスリランカ(当時はセイロン島)にやってきました。中央山脈の東側のウバ州での紅茶用農園の投資に大成功しました。
当時、紅茶は量り売りされていたのを袋詰めにして価格も下げて売り出しました。
その結果、中流階級以上が飲んでいた紅茶を労働者階級でも飲めるようになり、大流行しました。
こうしてコロンボ港から輸出されてセイロンティーは世界的に有名になりました。
現在、年間の生産量はおよそ30万トン。
そのうちの9割は輸出されていて、総輸出額は毎年約15億ドル程度で
スリランカ経済の強みになっています。
スリランカの面積は日本の北海道と同じくらいですが
その中に茶園の数が実に700か所以上もあります。
今やまさに茶園の島なのです。
text by Ayana Alles
だいたい「あぁ〜!紅茶で有名なスリランカ!」と言われます。
確かに、スリランカの紅茶は輸出量が世界第1位で主要産業です。
なのでスリランカといえば紅茶の国と知られているのですが
そうなるまでの裏側には、ある人物達の功績があります。
セイロンティーの父、ジェームス・ティラー
ジェームス・ティラー |
スコットランド出身のジェームス・ティラーは
16歳で祖国よりスリランカに渡り、コーヒー園で働きました。
当時スリランカで盛んだったのは、紅茶ではなくコーヒー栽培だったのです。
その後、コーヒーの葉の病気である「サビ病」が流行り全滅しました。
それを機にジェームス・ティラーはインドで茶栽培を学んでスリランカに帰国。
見事、紅茶の葉の栽培に成功し、自ら揉念機をデザインしたり
当時はまだなかった紅茶工場までも作り上げました。
そうしてできた茶が英国の紅茶市場で高く評価され
セイロンティーが世界に広く渡って行きました。
彼は生涯独身で紅茶栽培に人生を捧げたので「紅茶と結婚した男」とも呼ばれています。
キャンディとヌワラ・エリヤの間らへんにあるルーラコンデラ茶園の入り口にはジェームス・ティラーの銅像があります。
黄色いラベルのリプトンの生みの親
トーマス・リプトン |
スコットランド生まれのトーマス・リプトンは1890年にスリランカ(当時はセイロン島)にやってきました。中央山脈の東側のウバ州での紅茶用農園の投資に大成功しました。
当時、紅茶は量り売りされていたのを袋詰めにして価格も下げて売り出しました。
その結果、中流階級以上が飲んでいた紅茶を労働者階級でも飲めるようになり、大流行しました。
こうしてコロンボ港から輸出されてセイロンティーは世界的に有名になりました。
現在、年間の生産量はおよそ30万トン。
そのうちの9割は輸出されていて、総輸出額は毎年約15億ドル程度で
スリランカ経済の強みになっています。
スリランカの面積は日本の北海道と同じくらいですが
その中に茶園の数が実に700か所以上もあります。
今やまさに茶園の島なのです。
text by Ayana Alles